猫を覚えておきたい話

今日の朝3匹いた飼い猫のうち1匹が亡くなったという話です。

twitterに写真を上げている茶と白でなく、新しく来ていた猫)

無駄に長くて別件で気分が沈んでることもありかなり感傷的な文章になってしまったかもしれませんのでツイートはしないでおきます。

なんとなく今の気持ちを書き出しておきたくて生まれた記事ですね・・・。

 

以下長文注意

 

 

9月中頃に東京に行った妹が猫を拾って連れて帰ってきた。(妹は数日で東京に帰った)

先住猫2匹より年齢が高そうで動きにも乏しいからか家族からはオジイとかオッチャンとか呼ばれてて身もふたもないなと思いながらオジと呼んでいた。

 

めちゃくちゃ細くて抱き上げると骨と皮しかない実感がすごかったのに食欲がすごかった。体重が約2倍弱ある猫よりすごかった。まあそもそも先住猫があんまり食べない方?なのもあるとは思うけど。

人間の食べ物のあげすぎは良くないと思って私からはあんまり食べ物をあげなかったのになぜか一番食べ物を求める目を向けられた。ワンチャンを狙われてた可能性がある。

でも飯を食った直後にディスポーザーで粉砕する前の生ゴミを食べようとしたときは流石に引いた。

本当に何もかも食らいつくさんとする勢いで音もなくやって来るので人間の食事の際は人間と、猫の食事の際は先住猫との攻防戦が勃発していた。

めちゃくちゃ食うけどよく吐いていた。暗いところにも吐くのでめっちゃ踏んだ。

それだけ食に貪欲なくせに液状の餌に混ざった薬だけは避けて食べててなんなんだ君はと思った。

水道から直接流れる水を飲むのが好きだったのかもしれない。ここ1ヶ月ほどは洗面所に寝転がって人間が水を出すのを待っていた。

めちゃくちゃ飲んでめちゃくちゃ吐いていた。なんなんだ君はと思った。

多分野良生活が長くてそんな感じになったのかなとも思った。

彼の襲来は嵐が来たみたいな感じで布団を台無しにされたり体が悪いからと何度も病院に通ったりただでさえ多かった猫用品が更に増えたりした。

 

歯が悪くなっていてよだれを垂らしたり餌を食べにくそうにしたりしていることがよくあった。処置をしようにも体重が足らず体への負担が大きくてできないらしかった。

めちゃくちゃ食うのに体重がほとんど増えず、2ヶ月ほど経ってようやく処置ができた。病院から帰ってきて体も洗ってようやく少し元気が出たかという感じだった。

 

昨日夕食を食べる前に洗面所を覗いたら彼が洗面台の上に寝転がっていた。数十分前からあまり元気がないとのことだったので寒い洗面所より暖房のある部屋がいいだろうと思い布団に乗せた。明らかに体調が悪そうだったので普段より丁寧に抱いたのだが、やっぱり骨と皮だけだなという感触だった。

夕食を食べていても以前のように私の食べ物を狙ってこなかった。気がつくと彼は洗面所の床で以前は登れたはずの洗面台に登れずに困っていた。下ろした責任があると思って乗せてやり、水を少しあげてから私は風呂に入った。

風呂に入っている間も彼が亡くなってしまうんじゃないかと少し考えはしたが、風呂場から出た私に上体を持ち上げて反応する彼を見て少し元気が出たのかなと思ってもう一度水をあげた。

就寝前に歯磨きをしようと洗面所に行くとまだ彼はいた。私が歯を磨くために水を出すと普段のように飲もうとしてきたので、それだけ元気なら明日の朝の病院にも行けるなと声をかけて就寝した。

 

朝起きてリビングに向かうと家族からついさっき亡くなったと知らされた。

彼は毛布にくるまれて布団の上にいた。撫でるとまだ暖かかったけれどやはり骨と皮だけだった。

ボーっとしながら朝の支度を済ませたあと、家族が病院に連れて行く代わりに火葬場に行くと言っていたので、出勤前に最後にもう一度撫でた。もう冷たくなっていた。

家に来てから2ヶ月と少しだった。時間としてはあっという間だったのに長い間彼に困らされたりしていた感触がある。

 

私は彼の写真を撮っていなかった。あまりにも痩せぎすな姿を取るのはなんだか悪い気がしたし、歯の処置を終えた頃はこれから元気になっていくんじゃないかと思ったためだ。

 

火葬場の方は消化器にかなりダメージがあったようだと言っていたと家族から聞いた。

そんな中で野良から家に連れてこられた彼は何を思っていただろうか。

一番食べ物を求めてきた私に最後に少しでも元気な反応を見せてくれたから、生涯の最後に少しでも良い思いができていたのかもしれないと言う考えと、それは人間の自分勝手だと言う考えの両方がある。

 

仕事を終えて帰ってきたら、彼も骨壷になって帰ってきていた。

そのはずなのに彼は廊下に置かれた彼のトイレや洗面台の上に気配を残している。

私はしばらくは暗い廊下で彼の吐瀉物を警戒したり、洗面所の横を通るときにチラッと中を見てしまうのだと思う。

 

近頃は色々と大変な時期で、そうした習慣が徐々に消えていき、記憶に沈んでいく彼のことを記事という形で出力して、私の人生の2ヶ月と少しの期間にオジという猫がいたことを覚えておくのが私にできる手向けであり、ともすれば人間の勝手に付き合わせてしまったことへの詫びなのかもしれない。

あとから振り返ってあっという間に過ぎたと思うであろうこの頃にいた猫のことを覚えておきたいなという記事でした。